岡くん「見よ、これはお前らクッソ低学歴が今後いくら稼ごうが決して入手出来ないカード」 [525432919]

1 :名無しさん@涙目です。(SB-Android) [US]:2024/02/19(月) 18:18:00.42 ID:PPPOVGq20.net ?2BP(5999)
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5 :名無しさん@涙目です。(兵庫県) [PL]:2024/02/19(月) 18:23:54.79 ID:WVCfc0rp0.net

サルートン

110 :名無しさん@涙目です。(庭) [ニダ]:2024/02/21(水) 16:20:40.54 ID:tqGBCOSu0.net

■冥府の門を開けて死者を復活させる天使ウリエル

 世界に完全な終末が訪れたとき、最後の審判を受けるためにすべての死者たちが復活する。シビュラの託宣には、このときに活躍する天使たちとして、バラキエル、ラミエル、ウリエル、サミエル、アザエルの名が挙げられている。なかでも最も大きな活躍をするのはウリエルで、この天使が絶対に開くことのない黄泉の扉の鋼の巨大なかんぬきを壊し、死者たちを復活させるのである。それから、他の天使たちも一緒になって、死者たちを神の前に連れていくのだという。死者が復活するときには、神によって、死者たちが生前に持っていた魂、息、すべての関節、骨、肉、腱、血管、皮膚、前髪などが与えられる。したがって、死者は生前と同じ姿で復活することになる。
 シビュラの託宣は古代のギリシアやローマの人々を読者として書かれているだけに、黄泉から復活するものの中に、ティタンやギガス といったギリシア神話に登場する神や怪物の名も上げられている。
 最後の審判は悪人ばかりでなく、善人や義人を含めたすべての人間が受けるものなので、復活して神の前に連れて行かれるものの中には、旧約聖書に登場する偉大な人々の名も含まれている。それは、モーセ、アブラハム、イサク、ヤコブ、ヨシュア、ダニエル、エリヤ、ハバクク、ヨナといった人々である。
 このようにして、すべての死者が復活し、神の前に連れて行かれ、そこで最後の審判が行われるのである。

112 :名無しさん@涙目です。(庭) [ニダ]:2024/02/21(水) 16:21:43.41 ID:tqGBCOSu0.net

■エズラ記(ラテン語)の予備知識

 聖書の正典及び外典・偽典の中で、エズラの名が冠されている文書は旧約聖書正典に含まれるエズラ記の他に、エズラ記(ギリシア語)、エズラ記(ラテン語)がある。ここで扱うのは、このうちのエズラ記(ラテン語)である。エズラ記(ラテン語)は一般に旧約聖書外典とされる文書で、現在の聖書では旧約聖書続編に含まれている。
 エズラ記(ラテン語)はもともとは異なる起源を持っていた3つの部分(1~3章、3~14章、15~16章)から構成されている。それぞれの部分は一般に第五エズラ記、第四エズラ記、第六エズラ記といわれる。成立時期は第五エズラ記が紀元2世紀中期、第四エズラ記が紀元100年頃、第六エズラ記が紀元3世紀後半だとされている。いずれの部分も終末に関する記述を持っているが、なかでも第四エズラ記と呼ばれる部分は、ユダヤ教黙示文学の代表的な文書だといわれている。本書で紹介する終末の光景も、第四エズラ記に記述されているものである。

102 :名無しさん@涙目です。(庭) [ニダ]:2024/02/21(水) 16:18:27.86 ID:tqGBCOSu0.net

■最後の審判とその結果

 メシアが支配する時代は永遠といわれているが、その時代にも終わりが訪れる。このとき、この世は終末を迎え、最後の審判が行われるのである。
 最後の審判に当たって、冥界にいたすべての死者が復活するというのは他の黙示思想と同様である。復活した死者たちはみな、神に従っているメシアの座の前にやってくる。ここで裁きが行われ、善人たちは永遠の天国に、罪人たちは永遠の地獄に赴くわけだが、エノク書では裁判の席でメシアが何かをいうと、その言葉だけで罪人たちは滅ぼされ、消え去ってしまうとされている。悪しき権力者だった者たちの中には、このときになって神に執行猶予を求めるものもいるが、それは当然無視される。そして、裁かれた罪人たちは地獄の激しい炎の中に投げ込まれるのである。

103 :名無しさん@涙目です。(庭) [ニダ]:2024/02/21(水) 16:18:38.79 ID:tqGBCOSu0.net

善人や義人たちはどうかというと、最後の審判によって救われた彼らは、その日以降は神と一緒に暮らすことになり、悪人たちの顔は二度と再び見ることはないという。ただ、最後の審判の日だけは別らしく、懲罰を行う天使たちが悪人たちに拷問をくわえる様子を見物できるとされている。善人や義人が暮らす世界は一面に木々が生い茂る祝福された場所だが、その中に悪人たちが責められる深い谷があり、義人たちにとって、それが永遠の見せ物になるという記述もある。
 いずれにしても、最後の審判で決定された運命は、その後永遠に変わることはないのである。

63 :名無しさん@涙目です。:2024/02/19(月) 23:01:03.87 ID:AaBpiwKy0.net

>>61
ヒント・色盲

111 :名無しさん@涙目です。(庭) [ニダ]:2024/02/21(水) 16:20:57.78 ID:tqGBCOSu0.net

■3倍にもふくれあがる悪行

 終末に起こる最も重要な出来事である最後の審判は神とメシアであるキリストの前で行われる。神が玉座に着くと、その右側にキリストが座し、その背後に多くの天使たちが控える。
 この審判によって悪人たちは永遠の地獄に、善人たちは永遠の天国に送られるというのは当然のことだが、シビュラの託宣には地獄に送られる人間の種類について具体的にたくさんの例が挙げられている。その人間とは、以前に悪事を行ったもの、殺人を犯したもの、犯罪を知っていたもの、嘘つき、泥棒、道楽者、寄食者、姦通者、悪い噂をたてるもの、乱暴者、無法者、偶像崇拝者、神をなおざりにしたもの、涜神の徒となったもの、敬虔なものから略奪したもの、長老や執事でありながら不正な裁判を行ったもの、尊大なもの、高利貸し、などなどとなっている。こうした者たちが、最後の審判によって地獄に送られるのである。彼らを地獄へと運ぶのはやはり天使の仕事で、このとき天使たちは炎を放つ鞭と火の鎖を持ち、罪人たちを壊れることのない枷でしっかりとしめつけて、真夜中に地獄に投げ込むのだという。そして、地獄に堕ちた者たちは、火で焼かれたり、渇きや暴力で罰を与えられ、自分たちの行った悪行の3倍分も苦しむことになるのである。
 これに対して、善人たちが赴く天国は苦しみのない場所で、酒、蜜、乳に溢れた場所だとされている。そこでは財産も共有なので、土地を区切る柵もなく、貧乏人も裕福な人も、身分の高低もなくなっている。結婚とか死も存在せず、売ったり買ったりもない。一日は十分に長いので、日の入りも日の出もなく、どういうわけか春夏秋冬という季節も存在しないという。こうして、人々は何の心配事もなく幸福に生きるらしい。

35 :名無しさん@涙目です。:2024/02/19(月) 20:43:13.27 ID:cti5jnvJ0.net

死後のみ説く宗教はゼロの宗教じゃ。この地で天国に住めんもの、
天国に行ける道理ないのじゃと申してあろう。人間の極まるところ
は神であるぞ。霊人は中間の存在ぞ。人間は神への土台ぞ。黒鉄21帖

他の宗教に走ってはならんという宗教もそれだけのもの。もちと大
きな心、深い愛と真の世界を拝めよ。融け入れよ。浄化第一。
                         月光23帖

108 :名無しさん@涙目です。(庭) [ニダ]:2024/02/21(水) 16:20:06.90 ID:tqGBCOSu0.net

■わらを食うライオン

 この世の終末の徴となる数々の不幸によって地上が混乱しているときに、天からメシアが降りてきて、地上に幸福な王国を建設することになるわけだが、シビュラの託宣によれば、メシアが登場してからも、地上に完全な平和が訪れるまでにはいくつかの紆余曲折があるらしい。
 東から地上にやってきたメシアは、不信心者や悪しき権力者を殺すことで地上の戦争を終結させる。これによって、地上に平和が回復し、大地も海も豊かになる。ところが、こうして世界が豊かになると、地上の王たちの間に互いを妬む心が芽生え、より豊かな土地を奪うために、無意味な争いが起こってしまうのである。この争いを静めるために、神は天から火の剣を降らす。それから、硫黄や石の嵐を巻き起こす。このような恐ろしい出来事によって、地上の悪は今度こそ壊滅し、地上においてメシアの支配する幸福な永遠の王国が樹立されるのである。
 この王国はこの上なく豊かで善良な世界である。地上からあらゆる争いは消えてしまうし、大地は豊かで穀物は無尽蔵に実り、泉から白く甘い乳が吹き出す。果樹、果実、肥えた羊、牛、山羊などは天から与えられる。争いがないのは人間の間だけではなく、凶暴な動物までがおとなしくなってしまう。肉食であるはずのライオンがわらを喰うようになり、マムシが人間に害をくわえることもなくなるのである。

7 :名無しさん@涙目です。(庭) [CN]:2024/02/19(月) 18:28:07.01 ID:oOX/dNDl0.net

>>4
えーと、思いっきりninja残ってますよ😅

100 :名無しさん@涙目です。(庭) [ニダ]:2024/02/21(水) 16:17:59.93 ID:tqGBCOSu0.net

エノク書の著者の時代が第7週だとされていることから、この著者がすでに世界の歴史の後半あるいは末期ともいえる時代に生きていたと考えていたことはわかる。エノク書には、メシアの来臨がいつになるのかはっきりと示されていないが、第8週には不法な者たちが裁かれるとされているので、著者の時代からそう遠くない将来にこの世が改善されると考えていたことは確かである。もしかしたら、その時代にメシアの来臨があると考えていたと想像することもできるだろう。

■メシアの来臨とその時代

 エノク書の中でメシアの来臨や最後の審判について書かれてある部分は、エノク書全体の中では最も新しい時期(紀元3世紀頃)に書かれたといわれている。これはヨハネの黙示録が書かれた時代(紀元1世紀頃)よりも後代にあたっている。したがって、メシアの来臨によって地上に平和な正義の王国(千年王国)が樹立され、それが長期間続いた後でこの世の終末及び最後の審判の時が来るという思想は十分に知られていたらしく、エノク書の中にもそれに類した思想が読み取れる。

69 :名無しさん@涙目です。:2024/02/20(火) 19:32:11.70 ID:xc9rv90D0.net

岡ってよく考えるとパチスロの目押しできないな

55 :名無しさん@涙目です:2024/02/19(月) 21:25:30.06 ID:JMxyMH8Z0.net

■ ■■

83 :名無しさん@涙目です。:2024/02/20(火) 20:29:08.09 ID:tAsz5kSL0.net

今日も買ってしまったのか最近生来の気の毒だよ
コロナで離脱者多数だから

114 :名無しさん@涙目です。(庭) [ニダ]:2024/02/21(水) 16:22:04.40 ID:tqGBCOSu0.net

■3つの頭の時代の後に終末はやってくる

 第四エズラ記の著者は、終末の時期が差し迫っていると信じている。第四エズラ記が書かれた紀元100年頃はローマ帝国の時代で、ドミティアヌス帝の治世だったが、この治世の終わりにはこの世の終末が来ると信じていたといわれている。このことは、エズラの見た第四の幻の中で語られている。この幻の中では、12の翼と3つの頭を持つ一羽の鷲が登場し、一度はこの世を支配するが、やがてやってきた獅子によって退治されるとされている。ここで、鷲によって表象されているのがローマ帝国で、獅子によって表象されているのが終末の時に来臨するメシアである。天使ウリエルはこの幻に解釈を与え、鷲の時代の最後に3つの頭の時代があるとしているが、この3つの頭は現在では、皇帝ウェスパシアヌス、ティトゥス、ドミティアヌスだと解釈されている。
 終末の時期が近いことは、他の幻の中でも別な仕方で語られている。最もはっきりと語っているのは第七の幻で、この中で天使ウリエルは、「世は既に若さを失い、老年期に近づいている」といっている。ウリエルによれば、この世の期間は12の時期に分けることができるが、既に9の時期と10の時期の半分が過ぎているという。この世が老年期に入ったという意見は第二の幻でも語られているが、ここでは、この世が老年期になればなるほど生まれてくる人の背丈は小さくなるので、現在生きている人は以前に生まれた人よりも小さく、今後生まれてくる人はさらに小さくなるだろうといっている。

70 :名無しさん@涙目です。:2024/02/20(火) 19:41:20.16 ID:RJPagwZ10.net

ひむらゆなぬのもちほくねすすをむむたゆしををうおくてちゆせ

15 :名無しさん@涙目です。(茸) [UG]:2024/02/19(月) 19:00:24.38 ID:qs6ZZl0M0.net

>>4
おい岡!

40 :名無しさん@涙目です。:2024/02/19(月) 20:45:50.52 ID:cti5jnvJ0.net

子の歳、真中にして前後十年が正念場。磐戸16帖

悪のやり方は、初めどんどん行くけれど、九分九里でぐるんぞ。善
のやり方は初め辛いけれど、先行くほどよくなるぞ。この世、何1
つできんということない、この方のすることぞ。松9帖

悪の終わりは共食いじゃ、共食いして共倒れ、理屈が理屈と、悪が
悪と共倒れになるのが、神の仕組みじゃ。雨10帖

悪はますます増えるのみ、悪を殺すちゅう、そのことが悪そのもの
と知らざるや。海5帖

星の国、星の臣民、今はえらい気張りようで、世界構うように申し
ているが、星では駄目ざぞ。神の御力でないと、何も出来んぞ。
                  天2帖

21 :名無しさん@涙目です。(千葉県) [US]:2024/02/19(月) 19:40:04.15 ID:geG7MXrB0.net

>>6
名前ワロタw

109 :名無しさん@涙目です。(庭) [ニダ]:2024/02/21(水) 16:20:20.16 ID:tqGBCOSu0.net

■静寂に戻る世界

 メシアの王国は永遠といえるほど長く続くが、それでもいつかはその時代は終わり、この世の終末がやってくる。
 この終末は宇宙的規模の終末なので、当然のように宇宙的規模の破滅が起こることになるが、シビュラの託宣はこの出来事についても詳しく語っている。
 それによれば、終末の日になると、空の雲の中に歩兵や騎兵が出現して激しい戦争が起こり、宇宙のすべてが黒い霧に覆われてしまう。ヨハネの黙示録にあるように、この日に天使のラッパが鳴り響くという記述もある。それから、おそらくは溶鉱炉で燃えているどろどろの鉄のような燃える火の川が空から地上に降り注いできて、大地も海も川も何もかも滅ぼしてしまうのである。しかし、これでも破壊は終わらない。この日に起こる破壊は徹底的なもので、この世のすべてが消えるまで続く。つまり、空気、大地、海、火といった要素的なものまでが最後には消え失せてしまうのである。世界は完全な無秩序になり、どんな物音も聞こえなくなる。こうして、古い世界はなんの痕跡もなく消え失せてしまうのである。

47 :名無しさん@涙目です。:2024/02/19(月) 20:51:13.07 ID:cti5jnvJ0.net

一二三の仕組とは、永遠に動かぬ道のことぞ。三四五の仕組とは、
みよづの仕組ぞ。御代出づとは、神の御代になることぞ。この世の
神の国に練り上げることぞ。神祈りたら、三四五の御用にかかるか
ら、そのつもりで用意しておいてくれよ。 下14帖

一二三の仕組が済たら、三四五の仕組と申してありたが、世の元の
仕組みは、三四五の仕組から五六七の仕組となるのぞ。五六七の仕
組とは、ミロクの仕組のことぞ。 富士4帖

117 :名無しさん@涙目です。(庭) [ニダ]:2024/02/21(水) 16:22:50.85 ID:tqGBCOSu0.net

■数少ない楽園への切符

 メシアの樹立する地上の楽園は、いわゆる千年王国のことだと考えられるが、この王国は400年間続くとされる。それから、メシアも含め、地上に生きていた者たちのすべてが死に、7日の間、この世は太古の昔と同じように静寂になる。7日間が過ぎた後で、大地の中から死者たちの復活が起こる。また、黄泉の国からも死者たちが復活する。最後に神が裁きの座に出現し、復活した死者たちに対して最後の審判を行う。裁きの場には、地獄や天の楽園も出現し、死者たちを待ち受けるのである。
 最後の審判に際しての神の裁きは非常に厳しいものだとされている。エズラは幻の中で、天使ウリエルに向かって、地上には不敬虔な人間ばかりいるので、最後の審判によって生き延びるものはごくわずかしかいないだろうことを訴え、義人たちがそのような人々のために執りなしをしたり、神にお願いしたりすることができるかどうか尋ねている。これに対し、天使ウリエルは、最後の審判に際しては、本人に代わって誰か他の人が許しを請うようなことはできず、人間はみな個人の責任を負う以外にないと応えている。また、神はこの世を大勢の人間のために創ったが、天の楽園はわずかの人のために創ったのだとして、少数の人だけが天の楽園に行くことができ、その他の人々は地獄に堕ちるしかないことを暗示している。

64 :名無しさん@涙目です。:2024/02/20(火) 00:54:04.96 ID:C+MRFNnP0.net

ヲヲヲ
岡くん!ずっと見てるぞ

64 :名無しさん@涙目です。:2024/02/20(火) 00:54:04.96 ID:C+MRFNnP0.net

ヲヲヲ
岡くん!ずっと見てるぞ

8 :名無しさん@涙目です。(ジパング) [US]:2024/02/19(月) 18:37:21.08 ID:7RlPpw6/0.net

>>1
これが噂の赤いゴールドカードか…

61 :名無しさん@涙目です。:2024/02/19(月) 22:13:00.04 ID:koiIFbOa0.net

ゴールドカードじゃないだと(定期)

11 :名無しさん@涙目です。(庭) [JP]:2024/02/19(月) 18:45:49.18 ID:M/ruP94A0.net

手書きでwって

89 :名無しさん@涙目です。(東京都) [ヌコ]:2024/02/21(水) 11:10:50.35 ID:XDNTO+Eg0.net

54 :名無しさん@涙目です。:2024/02/19(月) 21:23:24.52 ID:cti5jnvJ0.net

ひふみ神示 第29巻 秋の巻

第二帖
外は外にあり、内は内にあり、外は内を悪と見、内は外を悪として考へるのであるが、それは善と悪でないぞ。内と外であるぞ。外には外のよろこび、内には内のよろこびあるぞ。二つが和して一となるぞ。一が始めぞ、元ぞ。和して動き、動いて和せよ。悪を悪と見るのが悪。

ひふみ神示 第29巻 秋の巻

第五帖

 へその緒はつながってゐるのであるから、一段奥のへそえへそえと進んで行けば、其処に新しき広い世界、大きくひらけるのであるぞ。自分なくするのではなく高く深くするのであるぞ。無我でないぞ。判りたか。海の底にはキンはいくらでもあるぞ。幽界と霊線つなぐと自己愛となり、天国と霊線つなげば真愛と現れるぞ。よろこびも二つあるぞ。三つあるぞ。大歓喜は一つなれど、次の段階では二つとなるのであるぞ。

62 :名無しさん@涙目です。:2024/02/19(月) 22:29:15.25 ID:LgK88YiG0.net

ポケモンラジコンまた見たい