元スレ
1 :名無しさん@涙目です。:2024/03/03(日) 11:51:27.72 ID:f4PIDtci0.net ?2BP(5999)
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13 :名無しさん@涙目です。:2024/03/03(日) 12:25:52.89 ID:0hQlvnHt0.net
岡くんがラブライブのキャラのうち、和菓子屋の娘設定の高坂穂乃果だけは描かなかったのは弟を思い出すから説好き
27 :名無しさん@涙目です。:2024/03/03(日) 12:49:37.68 ID:3NdgW29n0.net
なお、“大おお日ひ月つき”の他に“大おお明ひつく”の視点も存在すると思われますが、それが全ての神々を讃える御神名である『太おお日ひ月つき地くに大のおお神かみ』なのかもしれません。何故なら、天の御先祖様と地の御先祖様の和合は、麾き下かの神々、つまり、天の全ての神と地の全ての神が和合するのと同じことだからです。
◆
このような「天の神と地の神が一致和合する」という内容は、日月神示の中で何度も触れられています。それ故なのでしょうが、天の御先祖様と地の御先祖様は一緒に言及される場合が多いです。その箇所も引用してみます。
「天の御三体の大神様と ちのおつちの先祖様でないと今度の根本のお建替出来んのざぞ、判りても中々判らんであろがな。洗濯足らんのであるぞ」 『雨の巻』 第四帖 「338」
「今度は根本の天の御先祖様の御霊統と根元のお地つちの御先祖様の御霊統とが一つになりなされて、スメラ神国とユユツダタヤ神国と一つになりなされて末代動かん光の世と、影ない光の世と致すのぢゃ、今の臣民には見当とれん光の世とするのぢゃ、光りて輝く御代ぞ楽しけれく」 『光の巻』 第六帖 「402」
「次の世がミロクの世、天の御先祖様なり、地の世界は大国常立の大神様 御先祖様なり、天の御先祖様 此の世の始まりなり、お手伝いが弥栄のマコトの元の生神様なり、仕上げ見事 成就致さすぞ、御安心致されよ。天も晴れるぞ、地も輝くぞ、天地一つとなってマコトの天となりなりマコトの地となりなり、三千世界一度に開く光の御代ぞ楽しけれ」 『梅の巻』 第十七帖 「444」
44 :名無しさん@涙目です。:2024/03/03(日) 12:55:50.87 ID:3NdgW29n0.net
第 3 章
ネブカデネザル王は一つの金の像を造った。その高さは六十キュビト、その幅は六キュビトで、彼はこれをバビロン州のドラの平野に立てた。
2 そしてネブカデネザル王は、総督、長官、知事、参議、庫官、法官、高僧および諸州の官吏たちを召し集め、ネブカデネザル王の立てたこの像の落成式に臨ませようとした。
3 そこで、総督、長官、知事、参議、庫官、法官、高僧および諸州の官吏たちは、ネブカデネザル王の立てた像の落成式に臨み、そのネブカデネザルの立てた像の前に立った。
4 時に伝令者は大声に呼ばわって言った、「諸民、諸族、諸国語の者よ、あなたがたにこう命じられる。
5 角笛、横笛、琴、三角琴、立琴、風笛などの、もろもろの楽器の音を聞く時は、ひれ伏してネブカデネザル王の立てた金の像を拝まなければならない。
6 だれでもひれ伏して拝まない者は、ただちに火の燃える炉の中に投げ込まれる」と。
7 そこで民らはみな、角笛、横笛、琴、三角琴、立琴、風笛などの、もろもろの楽器の音を聞くや、諸民、諸族、諸国語の者たちはみな、ひれ伏して、ネブカデネザル王の立てた金の像を拝んだ。
8 その時、あるカルデヤびとらが進みきて、ユダヤ人をあしざまに訴えた。
24 :名無しさん@涙目です。:2024/03/03(日) 12:48:56.80 ID:3NdgW29n0.net
ミロク = 天照皇大神
日の大神 + 月の大神 = 日月の大神 = ミロクの大神
ミロクの大神 + 地の御先祖(国の御先祖) = 大日月の大神 (※旧九月八日から)
ただし、『青葉の巻』第十七帖に込められた意味を正確には把握するためには、原文を参照した方が良いと思われます。その理由を明らかにするために原文と訳文を対比させてみます。
次に、この帖の内容を判り易く抽出して、適切だと思われる漢字を当ててみます。
ここでは原典に収録されている原文が正確であるという前提で話を進めますが、日の神と月の神が一体になったミロクの大神は、「日●月●の神」ではなく「明●の神」と表記する方が、より実態に近い翻●訳●だと考えられます。これは『三位一体』の項でも述べましたが、「不可分の一体としての側面を重視する」という意味を込めた書き方なのでしょう。
そして、この場合は“明”を「ヒツク」と訓よむ可能性が高いのです。その根拠は前編の序章の第二項で述べた通りであり、伊邪那岐神と伊邪那美神による国生み神話でも言及しますが、要するに、天之日津久神様は自●ら●の●名●を●冠●し●た●第六巻『日月ひつくの巻』の中で、日じつ月げつを対偶的に見る場合は「ヒ」及び「ツキ」と呼び、一体として見る場合は「ヒツク」と呼ぶように指定しているのです。
42 :名無しさん@涙目です。:2024/03/03(日) 12:55:28.05 ID:3NdgW29n0.net
8 ダニエルは王の食物と、王の飲む酒とをもって、自分を汚すまいと、心に思い定めたので、自分を汚させることのないように、宦官の長に求めた。
9 神はダニエルをして、宦官の長の前に、恵みとあわれみとを得させられたので、
10 宦官の長はダニエルに言った、「わが主なる王は、あなたがたの食べ物と、飲み物とを定められたので、わたしはあなたがたの健康の状態が、同年輩の若者たちよりも悪いと、王が見られることを恐れるのです。そうすればあなたがたのために、わたしのこうべが、王の前に危くなるでしょう」。
11 そこでダニエルは宦官の長がダニエル、ハナニヤ、ミシャエルおよびアザリヤの上に立てた家令に言った、
12 「どうぞ、しもべらを十日の間ためしてください。わたしたちにただ野菜を与えて食べさせ、水を飲ませ、
13 そしてわたしたちの顔色と、王の食物を食べる若者の顔色とをくらべて見て、あなたの見るところにしたがって、しもべらを扱ってください」。
14 家令はこの事について彼らの言うところを聞きいれ、十日の間、彼らをためした。
15 十日の終りになってみると、彼らの顔色は王の食物を食べたすべての若者よりも美しく、また肉も肥え太っていた。
16 それで家令は彼らの食物と、彼らの飲むべき酒とを除いて、彼らに野菜を与えた。
59 :名無しさん@涙目です。:2024/03/03(日) 22:40:25.07 ID:pHrrQ5tS0.net
31 :名無しさん@涙目です。:2024/03/03(日) 12:50:36.77 ID:3NdgW29n0.net
「神かみ国くにの王は天地の王ざぞ、外とつ国くにの王は人の王ざぞ。人の王では長う続かんのぢゃ」 『岩の巻』 第十一帖 「376」
そして、上で引用した記述で説かれている構図は以下の通りです。
天地の先祖 = 元の神 = 天主 = 王の王
天主 = 天地 = シチニの神 = 天父
これに先程からの内容を含めた構図をまとめてみます。
天の御先祖 + 地の御先祖 = 王の王の神 = 天主 = 元の神 = 大日月の神
つまり、「対偶の系譜の根ご元せ的んなぞ存さ在まが一体になったら、そ●れ●はもう至高の存在としか言えない」というような意味なのでしょう。これは大陸の思想で陽と陰の因もととされる“太たい極きょく”の考え方に近いと思われます。
◆
次に、ここまでの構図の大半を包括した記述を引用してみます。
17 :名無しさん@涙目です。:2024/03/03(日) 12:40:20.55 ID:A50T/8gD0.net
>>15
本人が地面に頭擦り付けて謝罪する動画なりを投稿すれば変わるんじゃないか?
親兄弟にまで迷惑かけてるわけだし。
20 :名無しさん@涙目です。:2024/03/03(日) 12:48:08.40 ID:3NdgW29n0.net
これによれば、ミロクの大神とは“総称”であって、基本的に“役割はたらき”の観点から定義される御神名であるとのことです。つまり「該当する神様が多いので言及に齟そ齬ごがあるように見えてしまう」ということなのでしょう。このような主張と全く同じ位置付けの御神名は日月神示にも登場しています。
「天之日津久の神と申しても一柱ではないのざぞ、臣民のお役所のやうなものと心得よ、一柱でもあるのざぞ」 『天つ巻』 第二十六帖 「133」
そして、恐らくは『天あめ之の日ひ津つ久く神のかみ』という御神名に“ミロクの答え”が秘められています。
日月神示が降りる少し前の昭和十九年四月十八日、岡本天明氏らは扶乩フーチによる降霊実験を行いました。その際、砂盤には最初に「天」と書かれ、続いて「ひつく」 「日月のかみ」 「ひつきの神」 「天之日月神」などと書き記されたそうですが、
「何故、“日月ひつく神のかみ”なのか?」
といったことを、【二】つ目のミロク論として、時節や神経綸とも深く関わるミロクの【構図】と一緒に論じたいと思います。
なお、以後の引用では原文を併記する場合が多くなりますが、原文と訳文の相違点の正誤については、原書が公開されていないので厳密には確認できないことを御了承ください。
◆
まず、日月神示の“ミロク”に関して、誤解のしようが無いほど明確な記述から引用します。
35 :名無しさん@涙目です。:2024/03/03(日) 12:51:46.63 ID:3NdgW29n0.net
また、ミロクや日じつ月げつの用はたらきを以上のように考えることによって、「日月ひつく」という言葉に込められた意味の一●面●が見えて来るようになります。
日本語のヒツクには「乾いてくっ付く」という意味の「干ひ付つく」や「乾ひ付つく」の意味がありますが、これは「隙間なく貼り付いて離れないこと」や「男女が親密にする」や「夫婦になる」という意味の言葉である「引ひっ付つく」と語源を同じくする言葉だと考えられます。それを、和合や結びと意味が通底する“調和マツリ”に掛けた御神名が『天あめ之の日ひ津つ久く神のかみ』ではないでしょうか。
ただし、これはヒツクやヒツキの言葉から類推できる意味の一つに過ぎません。例えば、日月神示の原文には訳者の判断で濁音を当て嵌めるので、「ヒツグ」や「ヒツギ」と訓む方が正しいとする説も根強く残っています。そして、こちらの訓み方でも奥深い意味を見いだすことができ、この場合は“日ひ嗣つぎ”としての見方が特に重要になって来ます。こういった“天あめ之の日ひ嗣つぎの神かみ”としての側面も、これから取り上げて行きます。
以上のように、天之日津久神様がいかなる存在であるのかは、名●の●中●に●既●に●現●れ●て●い●る●のでしょう。古来から言うように「名は体をあらわす」のです。例えば、日月神示には次のような記述があります。
56 :名無しさん@涙目です。(やわらか銀行) [GB]:2024/03/03(日) 22:12:16.50 ID:nX2eLdjC0.net
57 :塩(神奈川県) [US]:2024/03/03(日) 22:13:46.64 ID:7XUby/fo0.net
>>53
働きもしねぇのにそんな無駄金使って盆暗にも程があるだろ…
58 :名無しさん@涙目です。:2024/03/03(日) 22:39:29.11 ID:IlSiau3p0.net
2 :名無しさん@涙目です。:2024/03/03(日) 11:53:32.50 ID:bKhebNay0.net
54 :名無しさん@涙目です。:2024/03/03(日) 21:22:17.34 ID:UgrH2BHl0.net
16 :名無しさん@涙目です。:2024/03/03(日) 12:36:53.24 ID:RvBvRqwO0.net
34 :名無しさん@涙目です。:2024/03/03(日) 12:51:29.82 ID:3NdgW29n0.net
この場合、日じつ月げつはあらゆる存在を照らす光●そ●の●も●の●であり、ミ●コ●ト●の●姿●でもあります。
そして、神ふ示での日じつ月げつを詳つまびらかに見てみると、ミロクと通底する背景が浮かび上がります。簡単に言うと、
ミロクや日月ひつくには“対なるものの結び”という背景があります。
何故なら、日の大神と月の大神、天の御先祖と地の御先祖、天あめ之の日月ひつくの神かみと地つち之の日月ひつくの神かみなどの一致和合は、陽と陰、天と地、火と水、霊と肉といった“対なるもの”が結ばれるのと同じことだからです。
そういった用はたらきの“最たる象も徴の”として、根元神の最も偉大な現れ方である日じつ月げつが“最も象徴的な名ことば”として使われているのでしょう。このような内容から見る限り、
“対偶的な存在の和合”が日月神示の説く“ミロクの用はたらき”であると考えられます。
即ち“ 調和マツリ”です。そして、その実現に尽力する存在を、日月神示はミロクの大神や日月ひつくの神と呼んでいるように見えます。これが非常に広義の意味での“ミロクの定義”ではないでしょうか。
そう考えれば、日月神示が“天地の和合”を目指す今回の立替え立直しにおいて、神の御用を果たす人間を「地つち之の日月ひつくの神かみ」と呼んでいる理由や、『ミロクの大神』や『天之日津久神』が基本的に総称である理由も説明できると思います。
45 :名無しさん@涙目です。:2024/03/03(日) 12:55:59.56 ID:3NdgW29n0.net
9 すなわち彼らはネブカデネザル王に言った、「王よ、とこしえに生きながらえられますように。
10 王よ、あなたは命令を出して仰せられました。すべて、角笛、横笛、琴、三角琴、立琴、風笛などの、もろもろの楽器の音を聞く者は皆、ひれ伏して金の像を拝まなければならない。
11 また、だれでもひれ伏して拝まない者はみな、火の燃える炉の中に投げ込まれると。
12 ここにあなたが任命して、バビロン州の事務をつかさどらせられているユダヤ人シャデラク、メシャクおよびアベデネゴがおります。王よ、この人々はあなたを尊ばず、あなたの神々にも仕えず、あなたの立てられた金の像をも拝もうとしません」。
13 そこでネブカデネザルは怒りかつ憤って、シャデラク、メシャクおよびアベデネゴを連れてこいと命じたので、この人々を王の前に連れてきた。
14 ネブカデネザルは彼らに言った、「シャデラク、メシャク、アベデネゴよ、あなたがたがわが神々に仕えず、またわたしの立てた金の像を拝まないとは、ほんとうなのか。
15 あなたがたがもし、角笛、横笛、琴、三角琴、立琴、風笛などの、もろもろの楽器の音を聞くときにひれ伏して、わたしが立てた像を、ただちに拝むならば、それでよろしい。しかし、拝むことをしないならば、ただちに火の燃える炉の中に投げ込まれる。いったい、どの神が、わたしの手からあなたがたを救うことができようか」。
7 :名無しさん@涙目です。:2024/03/03(日) 12:07:59.03 ID:H6emTsAY0.net
6 :名無しさん@涙目です。:2024/03/03(日) 12:04:20.56 ID:5Qio7n5U0.net
51 :名無しさん@涙目です。:2024/03/03(日) 18:11:46.99 ID:j/SW3N0F0.net
33 :名無しさん@涙目です。:2024/03/03(日) 12:51:11.83 ID:3NdgW29n0.net
以上がミロクに関わる神々の基本的な構図です。ここまでに見て来たように、日月神示の説く“ミロク”は“日じつ月げつ”と極めて密接な関係があります。では、
「何故、神ふ示ではミロクを日じつ月げつという“名ことば”で表現しているのか?」
と言えば、それは日と月が宗教的な“真理ダルマの象徴シンボル”であるのと同時に“根元神の最も偉大な現れ方”だからなのでしょう。実際このように説かれている例は幾つかあります。
例えば、この項の最初で引用した霊界物語の一節では「高天原の総統神は日と月として現れる」という主旨のことが述べられていますし、日月神示の『地震の巻』でも、霊界の全てが太陽と太陰(日と月)から生まれ、交こう叉さし、霊人も神を日と月(太陽と太陰)として敬うことが述べられています。
「霊界に於ける事物は総て霊界における太陽と太陰とによりて生れてくる。それは地上に於ける場合と同じである。太陽と太陰との交叉により生ずる歓喜によって、その生れたるものは更に一層の光輝を放ち、弥栄となる」 『地震の巻』 第十四帖 「391」
「天国の政治は光の政治である。天国にも地上の如く太陽があり、その太陽より光と熱とを発しているが、天国の太陽は一つではなく二つとして現われている。一は月球の如き現われ方である。一は火の現われ、火の政治であり、一は水の現われ、水の政治である。愛を中心とする天人は常に神を太陽として仰ぎ、智を中心とする天使は常に神を月として仰ぐ。月と仰ぐも、太陽と仰ぐも、各々その天人、天使の情動の如何いかんによるのであって、神は常に光と熱として接し給うのである。またそれは大いなる歓喜として現われ給う。光と熱とは太陽そのものではない。太陽は火と現われ、月は水と現われるが、その内奥はいずれも大歓喜である。光と熱とは そこより出ずる一つの現われに過ぎないことを知らねばならぬ。このことをよく理解するが故に、天国の政治は常に光の中にあり、また熱の中に育ち栄え、歓喜するのである」 『地震の巻』 第十九帖 「396」
72 :名無しさん@涙目です。:2024/03/04(月) 23:12:11.65 ID:aWhPhz8A0.net
22 :名無しさん@涙目です。:2024/03/03(日) 12:48:26.12 ID:3NdgW29n0.net
「天からミロク様みづの御守護 遊ばすなり、日の大神様は火の御守護なさるなり、此の事 魂までよくしみておらぬと御恩判らんのざぞ」 『雨の巻』 第三帖 「337」
「てテんンかカラミミロロ九ク三サまマワ三ミヅのノ五ゴ四シュ五ゴアア三ソ八バス七ナりリ 一ヒのノおオーかカ三ミゝサマ八ハ一ヒのノ五ゴ四シュ五ゴ七ナ三サル七ナりリ こコのノ九コ十トたタマ四シーマてデ四ヨ九ク四シ三ミてテおオらラぬヌ十ト 五ゴおオんンワかカラんンのノ三ザ三ゾ」 『アメのキ』 第三帖 「337」
「月の大神様が水の御守護、日の大神様が火の御守護、お土つくり固めたのは、大国常立の大神様。この御三体の大神様、三日この世 構ひなさらねば、此の世くにゃくにゃぞ」 『風の巻』 第十二帖 「363」
「つツキキのノオーかカ三ミ三サマかガ三ミヅのノ五ゴ曰シュ五ゴ 一ヒのノおオーカ三ミ三サマかガ一ヒのノ五ゴ曰シュ五ゴ おオつツ千チつツ九クリかカタメタのノ八ハオー九ク二ニ十ト九コタ千チのノおオーかカ三ミ三サマ 九コのノ五ゴ三サンたタ一イのノおオーかカ三ミ三サマ三ミッかカ九コノノ曰ヨかカマ一イ七ナ三サラねネ八バ 九コノノ曰ヨ九ク二ニ八ャ/\クニャ三ゾ」 『カ千のキ』 第十二帖 「363」
火の守護と水の守護は、当然ながら日の大神と月の大神に対応しており、ミロクの大神が伊邪那美神であるなら、この記述にも一応の筋が通っていると言えます。また、「撞の大神様が水の御守護」という翻訳でも間違いではないのかもしれません。
ちなみに引用した内の後者の帖は、「御三体の大神」という言葉が六●柱●の●造●化●三●神●を指さない記述の代表例であり、同じ内容の記述は もう一箇所あります。
3 :名無しさん@涙目です。:2024/03/03(日) 11:54:48.36 ID:3NdgW29n0.net
46 :名無しさん@涙目です。:2024/03/03(日) 12:56:08.14 ID:3NdgW29n0.net
16 シャデラク、メシャクおよびアベデネゴは王に答えて言った、「ネブカデネザルよ、この事について、お答えする必要はありません。
17 もしそんなことになれば、わたしたちの仕えている神は、その火の燃える炉から、わたしたちを救い出すことができます。また王よ、あなたの手から、わたしたちを救い出されます。
18 たといそうでなくても、王よ、ご承知ください。わたしたちはあなたの神々に仕えず、またあなたの立てた金の像を拝みません」。
19 そこでネブカデネザルは怒りに満ち、シャデラク、メシャクおよびアベデネゴにむかって、顔色を変え、炉を平常よりも七倍熱くせよと命じた。
20 またその軍勢の中の力の強い人々を呼んで、シャデラク、メシャクおよびアベデネゴを縛って、彼らを火の燃える炉の中に投げ込めと命じた。
21 そこでこの人々は、外套、下着、帽子、その他の衣服のまま縛られて、火の燃える炉の中に投げ込まれた。
22 王の命令はきびしく、かつ炉は、はなはだしく熱していたので、シャデラク、メシャクおよびアベデネゴを引きつれていった人々は、その火炎に焼き殺された。
23 シャデラク、メシャク、アベデネゴの三人は縛られたままで、火の燃える炉の中に落ち込んだ。
36 :名無しさん@涙目です。:2024/03/03(日) 12:52:06.73 ID:3NdgW29n0.net
「秘密は秘密でないぞ、火水であるぞ、明らかな光であるぞ、火ひ水みずのマコトを悪神にたぶらかされて判らなくなったから、秘密となったのであるぞ、秘密は必ず現はれて来るぞ」 『海の巻』 第十三帖 「505」
「一切と手をつながねばならん。人民のみで世界連邦をつくろうとしても、それは出来ない相談、片かた輪わ車ぐるまと申してあろうが、目に見へぬ世界、目に見へぬ人民との、タテのつながりつけねばならん道理、人民同士の横糸だけでは織物にはならんぞ。天は火ぞ、地は水ぞ、火水組み組みて織りなされたものが、ニシキの御旗ぢゃ、ヒミツの経綸であるぞ」 『扶桑の巻』 第九帖 「858」
恐らく、天之日津久神様は「秘密とは、秘密が秘密ではなかったことに気付く過程の出来事に過ぎない」と仰っているのでしょう。答●え●は●最●初●か●ら●明●か●さ●れ●て●い●る●のです。
また、これらの記述では、“秘密の仕組”とは火水の仕組であり天地の仕組であり“光”であることが明示されており、それを“錦にしきの御み旗はた”と呼んでいます。
日本の歴史における錦の御旗とは“天てん皇のうの旗はた印じるし”のことであり、天あま津つ日ひ嗣つぎ天皇すめらみことから賜たまわる“日じつ月げつ旗き”を指します。これは赤地に金糸や銀糸で日月を刺し繍しゅうした旗であり、鎌倉時代に後ご鳥と羽ば上じょう皇こうが官軍の大将に下か賜ししたのが始まりとされます。それ以降は大義名分や明らかな道理を意味する日本語になりました。
余談ですが、後鳥羽上皇は自らの持ち物に菊の紋を多用したため、以降は“菊きく花か紋もん”が皇室の正紋になって行きました。しかし、元々は丸を二つ並べた“日じつ月げつ紋もん”が天皇の正紋だったそうです。
53 :名無しさん@涙目です。:2024/03/03(日) 19:50:46.15 ID:FEdIJdhg0.net
32 :名無しさん@涙目です。:2024/03/03(日) 12:50:54.15 ID:3NdgW29n0.net
「アメのひつ九のか三とはアメの一二の神で御座るぞ、アメのつきひの神で御座るぞ、元神で御座るぞ、ムの神ぞ、ウの神ぞ、元のままの肉体持ちて御座る御神様ぞ、つちのひつ九のおん神様ぞ、つちのひつきの御神様と今度は御一体となりなされて、今度の仕組 見事 成就なされるので御座るぞ」 『雨の巻』 第七帖 「341」
「アアメメのノひヒつツ九クのノかカ三ミ十ト八ハ アアメメのノ一ヒ二ツキのノカミてデ五ゴ三ザル三ゾ アアメメのノツキヒのノカミてデ五ゴ三ザル三ゾ 百モ十トガミてデ五ゴ三ザル三ゾ ムムのノカミ三ゾ ウウのノカミ三ゾ 百モ十トのノマゝマのノ二ニ九クたタ一イ百モ千チてテ五ゴ三ザルおオんンカミ三サマ三ゾ つツちチのノひヒつツ九クのノおオんンカミ三サマ三ゾ つツちチのノヒツキのノおオんンカミ三サマ十ト 九コんン十ド八ハ五ゴ一イッたタ一イ十ト七ナりリ七ナ三サれレてテ 九コんン十ドのノ四シ九グ三ミゝミ五ゴ十ト上ジョー十ジュ七ナ三サれレるルのノてデ五ゴ三ザル三ゾ」 『アメのキ』 第七帖 「341」
この記述では、「ひヒつツ九ク」と「一ヒ二ツキ」は呼び方が違っていても、決して別々の存在ではないことが明言されており、その上で非常に密度の濃い構図が明かされています。
アメのひつ九のか三 = アメの一二の = アメのの
||
百十 = ムの = ウの
||
つちのひつ九のおん = つちののおん
この帖の内容は次項で再び取り上げますが、要点ポイントになるのは“地つち之の日月ひつくの御おん神かみ”が神の御用を果たす人●間●のことであり、いずれは元●神●である“天あめ之の日月ひつくの神かみ”と一体になるという部分です。
43 :名無しさん@涙目です。:2024/03/03(日) 12:55:40.69 ID:3NdgW29n0.net
17 この四人の者には、神は知識を与え、すべての文学と知恵にさとい者とされた。ダニエルはまたすべての幻と夢とを理解した。
18 さて、王が命じたところの若者を召し入れるまでの日数が過ぎたので、宦官の町は彼らをネブカデネザルの前に連れていった。
19 王が彼らと語ってみると、彼らすべての中にはダニエル、ハナニヤ、ミシャエル、アザリヤにならぶ者がなかったので、彼らは王の前にはべることとなった。
20 王が彼らにさまざまの事を尋ねてみると、彼らは知恵と理解において、全国の博士、法術士にまさること十倍であった。
21 ダニエルはクロス王の元年まで仕えていた。